続・六畳間奮闘記

男には自分の世界がある。例えるなら空をかける、ひとすじの流れ星

徒然なるユーモアの在り処


それは以前、バイト先でお焼きを焼いていた時のこと

「ーーー君見て!」
楽しそうにこちらを振り向くバイト仲間(主婦)Mさん。僕とは普段からバイトの空き時間になぞなぞしたり駄弁ったりする仲である。仕事全般で気が利くいい人だが、ことあるごとにカニくれよと言ってくるのが玉に瑕。

「どうしたんですか?」
汗をお焼きにかけないようにさわやかな笑顔と共に振り返る僕。何事かと思いつつも営業スマイルを保てているのは、1年半の修行の成果である。ちなみに今日の焼き場はMさんが回しているので、今はサポートに入っている。

「ね、これみてよ!モーセ十戒みたいになっちゃった!」
言われるがままに彼女の手元を見てみると、あら不思議。おやきの裏面がぱっくり割れてしまっている。ちらっと見えている野沢菜は、さながら葦の海か。僕はこの時、これをモーセ十戒に例えるあたりいいセンスしてるなと感じた。レンチン失敗の残念感をそっと上書きする、良いたとえだと。そう、感じたはずなのに・・・

「え、Mさん。確かモーセ十戒っていうのは、モーセが神から授かった10個の戒めのことで、海を割ったのはまた別の話なんじゃないですか?」
・・・何を言っているんだ僕は!んな豆知識はいま欲されてねーんだよ!!と、心の中で突っ込む。たまたま3日前に入れたばかりのネタだったので思わず言ってしまったが、違うんだよ。この何気ない毎日の中にある出来事に「モーセ十戒」という名前を付ける。そこが素晴らしいんじゃないか!、と思うも後の祭りだった。

「え、そうなの?よくしってるね」
から徐々に遠ざかっていくモーセ十戒。惜しいことをしたと思う。正しいことが常に正しいとは限らない。こと日常会話において、それは特に顕著だ。今回のことでまた何度目かの反省を行う。常々、何か面白い言い回しはないものかと試行錯誤している身としては、ここで立ち止まっているわけにはいかない・・・!

とりあえず、次からはあれを「モーセ十戒現象」と呼ぶことにする。