続・六畳間奮闘記

男には自分の世界がある。例えるなら空をかける、ひとすじの流れ星

進撃の大考察~その1 世界の構造~②

2. こんにちはSF、未来の世界は並行世界?

エレンは座標(始祖の力)を持った状態でヒストリアと接触することで始祖の力が覚醒し「道」へ到達しました。そこで世界の結末を「未来の自分」と共有し、いつか来るマーレの侵略という滅びの未来を変えるために「過去」へと干渉します。「道」は始祖の巨人の力そのものであり、「道」はすべてのエルディア人につながる(ローマかよ)。作中では巨大な木の前に始祖ユミルがいて、砂で巨人をたくさん作っていましたね。

ここで過去への干渉とさらっと言いましたが、実は、作中の巨人の力には過去に干渉可能な能力が2種類あります。九つの巨人の力は始祖ユミルから分かたれたものなので、当然といえば当然なのですが、考察に大事なので整理します。ずばり、「進撃」と「始祖」の力です。

1 進撃による干渉

「その巨人はいついかなる時代においても 自由を求めて進み続けた 自由のために戦った 名は 進撃の巨人」 "wikiより"

上記の独白の内容を見ると、進撃の巨人の能力は、「自由への渇望の強制」のように見えるが、エレンの過去干渉を踏まえるとそうではないことがわかる。明らかにエレンの影響を受けているためだ。大本である「始祖」の継承者が「最初=始祖」であるユミルの影響を受けることを考えると、「進撃」の継承者は未来にいる「最後」の継承者から影響を受けるとは考えられないか。つまり、道を通してすべてのエルディア人を操作する始祖と、過去の進撃の継承者を未来から操る進撃(進撃の能力により、道に近いものが継承者の間に形成される)。能力としての類似点は多い。

※なぜエレンが「最後」の継承者なのかという根拠は、さらに未来からの干渉を受けていないという状況証拠しかない(未来のエレンは道で会ったので除外)ため、詳細な理由は「その2」考察へ送ります。

最後の継承者であるエレンが、作中で過去に干渉した事象は下記の①②である。

 ①フクロウ(進撃の持ち主)に干渉し、グリシャに「進撃」を継承させる。

 ②グリシャ(進撃の持ち主)に干渉し、「座標の力」を強奪させる。

だが、実際に行った干渉はこれだけでなく、おそらくもっと以前、それこそ、始祖ユミルの時代まで遡り、エレンは力を行使していた可能性がある。

ーーーそれは過去へ干渉することで望む未来へと突き進む。故に、「進撃の巨人

 

2 始祖の力による干渉

作中では、「ダイナの巨人」をエレンが操作していました。これは、始祖の持つ「道」を通じてエルディア人を操作するという力を、「過去・未来に関係なく存在する」という道の特性を利用して行使したものだと考えられます。

ここで、エレンが「道」を通じて過去に干渉した事象を③とします。

③ダイナの巨人に干渉し、ベルトルト(超大型)を助ける。

 (母のもとに巨人を向かわせる?うろ覚え)

 

僕の記憶では、作品中で上記①~③の干渉を確認しました。この段階で、§.1で挙げていた、

2.  ダイナの巨人を操作し、ベルトルトを助けた理由
3.  巨人を操作できるのに、ダイナの巨人から母を助けなかった理由

については、説明することができます。巨人の能力を使ってエレンが行う過去への干渉は、まさしく過去の改変です。単純なように見えますが、過去の改変はタイムパラドックス*1と常に隣りあわせです。ダイナの巨人の操作には、これを回避する意図があったのだと考えられます。

なぜタイムパラドックスが生じるのか

ベルトルトが巨人に食われれば、マーレの侵略は頓挫し、そもそも巨人に壁を破られることはなくなるでしょう。母を助けてしまうと、エレンをエレンたらしめていた巨人への復讐心は生じず、物語のような青年には成長しなかったでしょう。「超大型巨人の出現」「ダイナの巨人による母の殺害」は今と地続きになっている過去のキーポイントですから、「今」の世界を助けるには、ここを変えることは出来ないのです。よって、作中で行っていることは、辻褄合わせということになります。

どうやってタイプパラドックスを解決しているのか

しかし、過去を変え辻褄を合わせても、タイムパラドックス問題は解消されていません。次は、「最初の一人問題」が浮上します。この問題を理解するには、並行世界構造に関する仮説を共有しておかなければなりません。シュタゲプレイ済の皆さんは理解しやすいかもですが、平たく言えば「世界線」です。可能性世界線とは異なり、「超大型巨人による壁の破壊→マーレ侵略→アルミン・ミカサの死」という世界を経験したエレンが「道」を経由し過去を改変すると、改変起点から新たな世界が分岐するという世界構造です。この考えでは、「道によって結ばれた多くの並列世界が存在している」、そして、「漫画で描かれている世界はそのうちの一つ。最新の世界」という解釈を行います。1本の大きな樹をイメージするとわかりやすいかもしれません。大本の幹にあたる世界でマーレの侵略が生じ、一つの結末を迎えそうになると、エレンは「道」で過去を改変し、幹から新しい枝を分岐させます。これを繰り返すことで、幹を共有した無数の異なる結末を持つ世界が誕生するわけです。

つまり、過去に干渉しても、新たな分岐世界ができるだけで、干渉した世界は変わらない。ここでいう干渉した世界とは、「未来のエレン」の世界。作中のエレンはすでに改変された世界を生きていたということになります。本来交わるはずのないこの二つの世界は、「道」の存在によって「未来のエレン」と「作中のエレン」という形で関わりあっているのです。

そして、「最初の一人問題」とは、

作中のエレン←(未来のエレンの影響で過去改変)

未来のエレン←(????)

のように、未来のエレンが過去への干渉を始めたきっかけが、「未来の未来のエレン、その次の…」と、無限に発散してしまう問題のことです。

これを解決するのが、先ほど説明した世界構造。最初のエレン、つまり幹の部分に該当するエレン(仮に、Origin世界とする)が、他の分枝世界のエレンとは異なる形で「道」に至ることができれば、この問題は解決されるはずです。

次の記事では、次の二つについて考察を進めたいと思います。

・Origin世界どのような世界だったのか

・エレン・イェーガーとは何者なのか(Origin世界から続く、譲れない未来への進撃)

(大長編の予感・・・読みやすい文章頑張れ俺!!すでに読みやすくはないが。。。)

*1:過去改変を行う時点の自分の成立に、改変事象を含んではいけない

進撃の大考察~その1 世界の構造~ ①

///以下、ネタバレを含みます。未読の方はご注意ください///

(その1 世界の構造 、 その2 巨人の真実(仮) 予定)

 

進撃の巨人」大考察 ブログ掲載にあたって

進撃の巨人の面白さの一つに、練りこまれた緻密な設定があります。伏線や人物描写は言うに及ばず、それを支える世界観(調査兵団の武器や世界の歴史など)が充実しているからこそ、あの独特な緊張感が生み出されていると思います。

そして、ここまで世界を作りこめる作者が、作中に不可解な矛盾点を残しているわけがない。記事の出発点はここでした。最終巻を読み終えた段階で残っていた疑問。それらを約一年の間、我が灰色の脳細胞にとどめておくことで、この進撃の大考察は出来上がったのです。

考察にあたり、諌山先生を初め、作品に触れるきっかけとなったアニメ制作会WIT STUDIO様、漫画を進めてくれたR氏に感謝を。

 

1. 残されし謎、深なる世界への道標

進撃の巨人は、「海」へたどり着いてから急展開を迎えます。漫画の構成としても、時系列をずらしたりしているので、少し複雑でしたね…そこがいいんですけど(笑)

中でも始祖の力「道」へのアクセスが可能になり、エレンと過去を振り返るシーンは不可解さが爆発していました。実は自分が「道」という空間をとおして未来から過去に干渉を行っていたと語り、その現場を案内される。あまりの急展開に私、エレンはひどい目にあわされすぎて頭がおかしくなってしまったのではないかと置いてけぼり感が凄かったです(笑)。内容としては、なんか分かったような、分からなかったような・・・(笑)。結局、以下のような謎が新たにちりばめられたは良いものの、作中で答えは語られなかったように思います。

  1.  グリシャに干渉して始祖の力を奪わせた目的
  2.  ダイナの巨人を操作し、ベルトルトを助けた理由
  3.  巨人を操作できるのに、ダイナの巨人から母を助けなかった理由

しかしすべては、エレンが自身の大事な人達を守るために行った行動だったはずです。読んでいるこっちが辛くなるほど、愚直でまっすぐだったエレン。そんな彼が、自分の在り方を曲げ、仲間と距離を置いてでも、実行すべきだと考えた行動。にもかかわらず、物語中で詳細は語られず、完結してなお謎として残り続ける物語の残滓たち・・・。すなわち、これらの謎は深なる世界へ至る鍵。

ヒントはすでに出ていました。エレンは、「道」を通して過去に干渉していた。ならばそこに残された謎はきっと、「タイムパラドックス」に由来するもの…なのでしょう。

運命を論じてみる

「運命の出会い」は本当にあるのでしょうか?

僕と型月の出会いは運命的であったと思うし、書店の店頭で図書館の魔女に出会ったときには運命を感じました。それが初めから決まっていたことだとは思いませんが、必然であったとは思います。そんな運命をロマンチックに感じるために、ここに「運命論」を論じてみたいと思います。

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僕は、運命とは選択と決断の累積であると考えています。運命は過去に向けて使う言葉であり、未来を示す言葉ではないからです。よくいう「これが運命」「運命の出会い」「運命を感じた」、これらの言葉は、’今の時点'から'過去'に起こった出来事を振り返り、運命と'解釈'しているわけです。

であるならば、運命の実体は、その結果を生むに至った「決断と選択の結果」にあると言えるのではないでしょうか。'今'の選択が点になり、選択の連続が'過去'の軌跡となって'未来'に至る。自分の行動を自分で決断するからこそ、それが生むであろう未来を定めとして受け入れられるのです。逆に選択を他者に依存するのであれば、それも一つの選択といえるし、それを意識的に行わないことは自分の運命を手放す行為といえるのではないでしょうか。

進むも運命、引くも運命。きっと大穴馬券が当たった日には、朝の歯磨きから便所まで、すべからく運命の輪でからめとられてモーニングルーティンの仲間入りです。競馬したことないけど…

つまるところ、自分が運命と思えばそれが運命であり、引き寄せたいのであれば自分が動くしかないということです。運命が過去にあるならば、相応の今を積み重ね、いつか来る"必然"を待つ。だからこそ、運命の出会いとは美しいのではないでしょうか。運命であるからではなく、それを運命と感じられるから美しいのです。

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やばい。俺は釈迦にでもなっちまったのだろうか…

 

 

風林火山陰(ry

 

風林火山陰(ry 

出典: フリー百科事典『ワキペディエ(Wakipedie)』

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風林火山陰(ryふうりんかざんいんらい)は、窓際の席にあったノートに記された如風、静如林、熱滾如火、不動如山」の通称である。古くは「暗黒童話」と呼ばれた。某中学の図書館に現存し、今尚更新され続けていることで有名。

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以下は全文である。

(しゃべりの) 早きこと   風のごとく

(げんどうの) 静かなること 林のごとく

(たましいの) 熱きこと   火のごとく

(せきから ) 動かざること 山のごとし

(せいかくを) 知り難きこと 影のごとく

(せきから ) 動く時は   (ry

(休み時間の) 風林火山陰雷

赤福を食べたんだな

今日はお土産で赤福をもらったよー!

きめの細かいこしあん、とろけそうなほど柔らかい餅、そして五十鈴川の流れをイメージしたといわれる三本の瑞々しい線…。流石伊勢神宮のお土産!と思うくらい丁寧なつくりをしていて、木製のパッケージと相まってすごくおいしかったです( ´∀` )

そして思った。この日出づる国、日本に生を受けはや26年・・・そういえばまだ一度も伊勢神宮に参ったことがない!!
というのも、伊勢神宮が祭っているのは「天照大御神」。アマテラスといえば、ある時は相手を燃やし尽くすまで消えない黒炎、またある時は世界に色を付けて回る犬となり、現代でも様々な分野で活躍している八百万の最高神である。かくいう僕も昔はよくお世話になっていて、時折左目がうずいたり、右腕が熱くなったりしていた。
そうでなくても、その時代の持てる技術と信仰を集約して建設・維持してきた神社のたたづまいには心惹かれるものがある。その試行錯誤や、練り上げた技術、人々が懸けたであろう人生の時間に、信仰という行為の尊さを感じるのだ。
古来、人は信仰をもとに多くのものを生み出してきた。そして現代でも人は何かを信じて生きている。それが神とよばれる存在でなくなっただけで、自分や他人や、技術や貨幣を信仰し、拠り所にしているからこそ、社会の中で個を維持できるのだと思う。

ーーーー家のこたつで赤福を食べ、伊勢神宮のパンフレットを見て、こんなことを考えて満足して寝る。だから来年も、たぶん伊勢神宮には行っていない。

インターステラー ☆彡

作品『インターステラー』(2014) 監督:クリストファーノーラン

 

今日は遅まきながら「インターステラー」をみた。

ストーリーを一言でいうと、砂漠化による食糧危機により地球がダメになったので別の星に移る…というもの。この映画は、インターステラー=惑星間飛行による時差を盛り込み、時空を超えた愛の一大スペクタクル巨編として作品を仕上げているところがすごい!!

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主人公:ジョセフ

主人公の娘:マーフィー

搭乗員のヒロイン:アメリ

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***考察していますがあくまで感想です( ´∀` )あとネタバレ注意‼***

~序章~

 太陽系第6惑星・土星において、ワームホールが発生した。この重力異常により、地球では砂漠化が進行し、人類は未来を閉ざしていた。そんな中、NASAはこのワームホールを利用して別の銀河へ探査船を送り、「ミラー」「マンの星」「エドマンズの星」という3つの可能性を手にしていた。ここから主人公の冒険が始まる。

この作品のキーワードは、ずばり「マーフィーの法則」。引き寄せの法則として有名だが、作中では「あるものはある。起こりうる可能性のある事象は発生する」というような意味合いで使われる。主人公の娘はその「マーフィー」の名の示す通り、あらゆる可能性が収束する天才である。

作中では、不思議な事象が発生する。マーフィーの部屋の本棚から本が落ちたり、砂がへんてこな線を描いたり…この謎とマーフィーを含む家族を残してジョセフ一行は宇宙へ旅立つ。その道程で一行は幾度かの選択をし、謎は作品終盤で回収される。

~第1章~

まずは冬眠を繰り返し最初の惑星ミラーにたどり着くが、ここで発生した大津波により第一の選択が行われた。探査船のデータを優先する(アメリア主張)か、乗員の命や時間(ジョセフ主張)を優先するか。結果として、ここではジョセフが正解だった。なぜなら、この星では人類は生存できないことがのちにわかったからである。

~第2章~

そして第2の選択は、母船の燃料不足により行われた。「マンの星」と「エドマンズの星」どちらに行くのか。ジョセフは探査計画のリーダーであり信号も出しているマンの星、アメリアはエドマンズの星を推した。作中では、アメリアの「エドマンズの愛を感じるから」という主張  "ここは科学などの理論ではなく愛の力を信じるべきではないか"  というものを、ジョセフが一蹴する形で「マンの星」へ向かう。物語はここから終盤へ向けて加速していくが、結果としては「エドマンズの星」が目的の星であり、アメリアが正解だった。

~第3章~

マンの星では、一行はマンの裏切りにより「マンの星脱出」が困難になる。差し迫った状況の中、ジョセフがブラックホールに落ち、アメリアが「エドマンズの星」へ向かうことになる。以降、ジョセフ視点で物語が進むが、ここでマンはのちのヒントになる言葉を口にする。「父親は死の間際、娘を思いだす。お前は今娘を思い出しているか」と。ここでジョセフは死にかけなかったので思い出してはいない。

~第4章~

ブラックホールに落ちた後、ジョセフは死にかけ、娘を思い出す。すると不思議な四次元空間に放り込まれる。ジョセフはそこが我が家の本棚の裏であり、本を落としていた幽霊は自分だと悟る。ちなみに、この四次元空間はおそらくブラックホールの中だ。事象地平線(イベントホライズン)を超えると、時間と空間は逆転する。通常空間では観測時間において空間が無限に広がっているが、事象の地平線を超えると、一つの空間において過去から未来までの時間が連続するようになる。そういう描写だった。ここで、死ぬ間際娘を思い出したジョセフの観測は地球のマーフィーの本棚に固定され、その空間における時間旅行が可能になった。この固定は量子力学的な観測による固定によるものか、あるいは…。

ここで伏線回収がされると同時に、本作のメッセージが完成する。ジョセフは、特異点データを伝えるためにマーフィーへの愛を想い、その愛が引き寄せる力によって該当の時間を発見し、データを伝える。これは愛の力学的作用を示す描写であると思う。つまり、時空を超越する、重力に続く第2要素「愛の力」が実証された瞬間である。ここから第2選択でのアメリアにつながり、「エドウィンとの愛の力を感じるから、エドウィンの星が正解」という一蹴された理由に理論的な根拠がつくようになる。

つまり、この作品にはストーリーからのアンチテーゼ(反証)による「愛の実在証明」というテーマが隠れている。第2の選択を誤ったジョセフが、最終的には愛の力で重力理論のキーポイントを伝えること、愛の力で第2選択を行えば他の搭乗員の犠牲はなかったことがこれを裏付ける。(…アメリカ人はこういうロマンチックなの大好きだよね。僕も好きだけどw)

~終章~

この後、ジョセフはブラックホールを通り抜けワームホール付近で漂っているところを、アメリアの連絡を受け出発していたコロニー移民船団に拾われ目が覚める。本来、ブラックホールを宇宙服で通り抜けるのは不可能(星が角砂糖サイズになる重力)なのだが、そこは5次元存在により保護されたとみるのが妥当だろう。こいつらが本作のメインSFガジェット。SFとは現実に即したフィクションであり、現実的でない現象をどのように理詰めで説明するかというのが一つの楽しみなのだが、それにはどこかで"ぼかし"というべき、リアルとフィクションの境界が生じる。本作ではそれを埋めるのが例の5次元存在であり、いわば彼らが本作における事象の地平線なのだ‼

 

最後に。例の4次元空間でのやり取りに関する解釈をどうするか、少し悩んだ。作中では5次元存在がジョセフたちを導いたというが、その幽霊の正体はジョセフ自身だった。しかし、それでは物語にタイムパラドックスが生じる。鶏が先か卵が先か、最初に本棚を落としたのは誰なのか。このようなケースでは、主人公の判断に未来の自分が直接かかわってはいけないのだ。その未来に自力で到達し、過去を改変するならばokだが、未来への到達に未来自身は関係することはできない。タイムパラドックス残ってるんでない?

しかし、ここも大変便利なマーフィーの法則を作用させられる。もし、ジョセフが未来へ到達する可能性をマーフィー自身が引き寄せたとするならば…ある意味、重力特異点ならぬ可能性特異点「マーフィー」の誕生である。だって、普通本棚から本が落ちたり針の秒針が振動したからって気付くわけないやん‼

物語は完結し、最終的には移民成功。アメリアのもとへジョセフは旅立つ。彼ら彼女らの時空を超えた旅路の果てに迎えた新天地が幸福なものとなることを願い、終わりにする。

 

追記:物語の謎に夢中で自分より年上の娘の死に目に立ち会う辛さとか、登場人物に感情移入できてなかった…。素直に楽しめばよかった気がしなくもない。Σ( ̄ロ ̄lll)

 

 

お盆(の上に乗った肉)

今日は火曜日。今年の盆はこれで終わりです。

仏壇には僕がプランターで大事に育て上げたナスを茄子牛として捧げ奉りました。いや~、初採れのナスだったのでできれば新鮮なうちに食したかったのですが、ちょうどお盆の時期に食べごろになったのがいけませんでしたね。ご先祖に持っていかれちゃいました(笑)

そんな僕は、先日久しぶりの友人たちと焼き肉へ。いや、茄子牛で帰ったご先祖には申し訳ないと思っています。だって茄子牛って、どう繕ってもナスやん。見た目や乗り心地はともかく、味の違いは大きいでっせ!!

 

焼肉屋には12時から行ったのですが、開店直後から大繁盛。予約しといてよかったー、と思いつつ奥の座卓に案内されました。サービスのサラダをつまみつつ、互いの近況を報告。

序盤はジャブ。タン、ハラミ、カルビを交えつつ、肝心のホルモンの具合を試します。

---年を取ると赤身の肉が良い…そのきもち、わかります。だけどホルモンの油のない人生なんて、それこそ白飯のない焼肉みたいなもんじゃん?。私の人生には何かが足りない・・・その悩み、きっとホルモンが解決します。(広義の内臓的なものでなく、脂プルプルのヤツ)

味のほうは…うまい!!何がどうとかではなく、全部いい肉使ってる。何より驚きなのが、並のホルモンにしっかり脂がついていること。並でこれなら上は一体どうなっちまうんだ⁉

肉は焼肉屋でバイトやってたやつが俺お奉行さんだからと焼いてくれました。タンは胡椒振ってある側から焼いて、裏面さらっとがいいんだと。某、こんなうまいタン食ったの初めてでごわす。だけどふとみれば、白飯と一緒に焼肉食べているのは俺一人…あれ、みんなの焼肉には白飯ってなくていいの?ホルモンが解決してくれる人生の限界を見たような気がしました。

 

おなか一杯食べて、飲んで(僕はドライバーなのでのんある)総額4000円。焼肉ってさ、下手にチェーンの食べ放題行くより、個人経営店のほうがコスパいいと思うんだ。

そんなことを思った今年のお盆でした、まる