続・六畳間奮闘記

男には自分の世界がある。例えるなら空をかける、ひとすじの流れ星

今日あったニュース 「東京地裁への訴訟」

 今日はちょいとばかしまじめなことを書こうと思う。
これである。これをテレビで見たとき、自分は強烈な違和感を感じた。

 まず最初に断っておくが、自分は別に東日本大震災の被害を軽視したり、被害者に不幸を甘んじて受け入れろ、などというつもりはない。が、しかし、この事案にはちょっと言いたいことがある。彼らは、なぜ、あの震災を予見できなかったことについて訴訟を起こしているのだろうか?彼らは地震予測を天気予報か何かだと勘違いしているのではなかろうか?

 東日本大震災とは、複数個所の震源からなる、M9.0の超大規模地震である。前に未曽有の、と付け加えてもよい。まずこれを予測することがどれだけ難しいか、ここに記そう。
 現在の地震予測は、全国各地にある地震計により地表の微弱な揺れを観測することで行われている。その長年集積されたデータにより、「予測」を行うのだ。もちろん、日本の中には、大規模地震が起こるなら東北沖だろうという研究者もいた。だが、それを公表しなかった彼らを責めるのは筋違いというものだ。今回の地震の特異な点は数か所の震源を持つ、ということ。彼らの予測はあくまで「その可能性がある、かもな~」という確実性のないもので、可能性ならば南海トラフのほうがよほど大きい。そんな確実性の低い情報で、果たして何ができるのか。その情報で対策を行ったとして、どれほどの工費をかけられるのか?時間は?予想される住民の不満は?このたらればに費やす余裕は世界のどこにもない。
 そもそも、予測という手段に技術的な限界があるのだ。我々が観測できるのは地表面の揺れのみであり、震源付近は未知の領域。世界最長の掘削抗は1万2000mであるのに対し、海底地震であった大震災では地下24km。あとできるのは規則性の研究などだが、そもそもM9.0の海底地震など記録に存在しない。それは無理というものだ。
 地球の内部は、空よりも宇宙に近い。ある程度の予測はできても直接的な観測ができないからである。掘削がすすむと、一定深度の地圧によって掘削が不可能になる。それ以上は微細な振動をはじめとした地表観測や諸現象からの予測にたよるしかない。光を用いた宇宙の観測方法と一緒ではないか。地底とは、宇宙物理学におけるダークマターなのである。

 では、「予見」という言葉が使われていたので、予測ではなく想定による対策について話そう。現在は減災という方向で防災が進められているが、想定と言ってもどの程度の地震を想定すればよいのか?沿岸各地に東日本大震災レベルの地震に対する対策ができるわけがないだろう。それには、予測される震災規模相応の予測の確実性が求められるわけであり、それは上記の理由によって否定される。あの時、あの状態でできたのは、いかに震災が起こってから現状への対策で適切かつ迅速な対応が行えたか。その点での東京電力への責は、5年も前に問われていたはずである。また、原発地震への対策という点も、同上としておく。

 だから、今回の訴訟はおかしいのだ。予見できなかったことを理由に賠償を求めるのは筋違いで、それが勝訴したこともしかり。聞けばこれが4件目ではないか。もうすぐ5件目が出てくるだろう、何しろ訴訟すればお金がもらえるのだから。

 彼らはおそらく人間の技術力を過信しているのだろう。目が曇っているといいかえてもいい。地球という星の自然サイクルのすさまじさを、なまじ技術が発展したことによって錯覚しているのだ。確かに、人間にできることはとてつもなく大きくなった。しかし、それは決して万能なことではない。できないこと、不確かなことはまだまだ多く存在するのだ。その隙間を縫うように生活を安定させているものこそが、現在の技術であるといえるだろう。

・・・・・以上。と、云うことを言いたいだけの記事でした。長文失礼。