続・六畳間奮闘記

男には自分の世界がある。例えるなら空をかける、ひとすじの流れ星

あなたはセイバーが好きですか?

"Fate staynight"ーーいまや日本アニメ界を代表する作品の一つとされるほどに成長した本作。すでに数々のメディアミックスがなされているが、中でもFGO(fate/gland order)は日本でトップクラスのプレイヤー数を誇るスマホゲーとして今なお人気が高い。その様々な需要に応えるべく、キャラクターは常に増え続けており、そろそろ初期ポケモンの総数は越えてきたのではないかと思われる。

そして、キャラが増えて人が増えると、必ずこうつぶやくやつが出てくるのだ…「青セイバー?もう古いよね。あの青いやつ、まだ好きな人いるの?」——ここにいますけどね!と、いうか勘違いも甚だしいわ!!お前みたいなやつはこの記事読んでオタクの何たるかをその目に刻め!

という、八つ当たり記事でございます。すみません

 

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始めに。「オタクはみな、二次創作者である」byおれ

まず、小説・本・ゲーム・映画、ありとあらゆる創作物には原作者がいる。おれたちはそれらコンテンツを手に入れるため、原作者に対価を払う。そして次のステップで、オタクとそれ以外が分かれる。すなわち、手に入れたコンテンツを消費するか否かである。

これらコンテンツの本質は「体験」である。人はコンテンツを通して得られる体験に対して対価を払っている。この体験を一過性のものにすることを良しとするのが消費者、自分の中で反芻し続けるのがオタクであるとおれは考えている。

感動や悲しみは一過性のものだ。コンテンツを通して体験する時、その目的は体験の新規性により感動し涙し、興味・好奇心が満足されることで達成される。あくまで、体験は結果を得るための手段なのである。その意味で人は、多くの分野において文化的な消費者である。

翻って、オタクは体験そのものに価値を見出す。特定の手段によって得られた結果がほしいのであり、故に結果より手段、すなわち体験に重きを置く。僕で言うところのそれは、Fate staynightにおけるセイバーでありFGOのセイバーではない。「オタクが二次創作者である」というのは、この体験を再び得るために、オタクが自分の中に自分なりに感じ取った作品世界を再現・維持しているためである。これがこだわりとなり、余人の持たぬ知識となりオタクを形成する。二次的な作品世界を構築し、維持するからこそのオタクなのである。オタク的な他者との共感・共有はこの上に成り立つものなのである。

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だからッ!テキトーなこと言って古いよねとか終わってるよねとか消費者目線で言ってるんじゃねーーよ!( 泣)いや、八つ当たりだけど。。。

感じたものは変わらない。Fateやってるなら、美しいと感じたものを最後まで貫けよ!それもわかんないやつが、Fate語ってんじゃねぇ。セイバーはいつになってもセイバーなんだよぉーーー!

 

ーーーザザッ

「ーーーあなたが、私のマスターか」