続・六畳間奮闘記

男には自分の世界がある。例えるなら空をかける、ひとすじの流れ星

グローバル化とは何ぞ


この間、あるフランス人記者が書いた「欧米から見たTGS東京ゲームショウ)2018」という、TGSnコンパニオンに言及する記事を読んで、「あ、そういえばそうかも」となんか気づきを得たのでそれを報告します。

要訳すると、今アメリカでは男女平等が大きなムーブメントとなっている。その波は日本にも押し寄せており「日本のコンパニオンは女性をないがしろにしている」等いろいろ言われているが、それはあくまでアメリカの白人至上主義な差別社会で醸成された考え方であり、それをそのまま他国の文化に当てはめるのはよくない。と、いうもの。当のコンパニオンも、セクシャルシンボルとして広告塔にされているなどという感じはないと言っていた。

これは自分にはちょっとした衝撃だった。「いま世の中で叫ばれているグローバル化って、ほとんど欧米化と同じ意味なんじゃね?」と。もちろん欧米はグローバル先進国であるからそれを参考にするのは当然のことなのだが、だからといって、その考え方まで「アメリカとかがそうだから」と言ってまねしてよいものなのだろうか?文化というものはそれぞれの国が様々な下地の上に、徐々に変化を加えながら出来上がっていくものと自分は思っている。そこに他国の考え方をそのままかぶせてもうまくいくわけがない。そのエッセンスを自分たちなりに自国になじませる必要がある。

例えば男女平等にしても、女性が「差別を受けている!」など、不満や強く思うことを主張するのは当然であるが、その根拠が「アメリカはこうで、日本は遅れている。早くグローバル化すべき」というのはちょっと違う。その理由は国内に求めるべきであり、グローバル化とは世界に目を向けた自国を、その広がった世界に適応させていくことであると思うからだ。

何が言いたいかというと、アメリカやヨーロッパの真っ当だと思える考え方も、そこには必ずそれを考えるに至った下地があるわけであり、必ずしもそれを真似すればよいというわけではない、ということ。男女平等にしても、男が子供を産めないように、どうしようもない差異は必ずあるということ。そのうえで、いろいろな意見を言ってほしいなー、と、ツイッターやユーチューブなどの批判コメントなどを見て思うわけである。

・・・ふう、なんか疲れた。